愛知県美術館で開催されている「ゴッホとゴーギャン展」へ行ってきました。
そこそこ有名な作品がほどほどの点数で展示されていました。
全体的な構成としてはちょっと物足りなく感じてしまいました。
ゴッホとゴーギャンの関係性は有名ですが、そこに新しい発見を持ち込むことはなかったように思えます。
とはいえそれぞれの作品は素晴らしく、キャンバスの中の草木が今にも風で揺れ出し道には人々が往来するように生き生きと感じられました。
そこから作家達が生きて目にした世界が広がるようでした。
それまでの古典の作品が瞬間を精緻に冷たく留めているのに対し、この時代に興った新しい芸術は動的エネルギーを一緒に保存しているような印象を受けます。
超個人的な感想ですが、ゴーギャンの「マルティニーク島の風景」が実家の畑のようで身近に感じられました。
パパイヤの木があって、赤土で海と山が近いところが昔よく見た沖縄の風景のように思えたからです。
出口のところにあるガチャガチャを買ったらゴッホの自画像が出ました。
やったね。
ところでゴッホのことを考えるといつも心に浮かびあがる疑問があります。
それは「彼は幸せだっただろうか?」ということです。
彼は無名で評価されることもなく、芸術家仲間とは理想を分かち合えず精神を病み孤独に死んでしまいました。
ああ、なんてかわいそうな人生なんだろう。
もし彼が別の仕事をして別の生き方をしていたならどうなっていたのか。
素晴らしい作品は残らなかったかもしれないが、一人の普通の人間の人生を幸せに送れていたのではないだろうか。
幸せならばそれで十分ではないのか。
しかし、もし画家になっていなければ彼は内側にたぎる情熱の炎に焦がされ苦しんでいただろう。
彼は芸術を生きること自体がすでに幸福だったのではないだろうか。
どうかそうであって欲しい。
そしてもう一つは「彼を讃えている後世の人々すら彼の芸術を理解してはいないのではないだろうか」ということです。
彼の評価は作品に宿る本質よりも、権威や金銭的な価値によって人々が素晴らしいと思い込んでいる部分が大きいのではないでしょうか。
現在先端で芸術を生み出している人たちに目を向けていて、無名であっても評価できるという人はどのくらいいるでしょう。(もちろん自分を始めとして)