自殺した画家が最後に遺したという絵画作品の記事を読みました。
死は特に人々の興味を引くものなので、これらの作品を観る人はその中に何か見出そうとすると思います。
作家が自らの死への意識を作品に反映しようと意図しているかどうかに関わらず。
僕が衝撃を受けた写真集があります。
清野賀子さんの「至るところで心を集めよ 立っていよ」という作品です。
特徴もない住宅街のありふれた風景の写真なのですが何故か心惹かれてしまいました。
人が写り込んでおらず色も少ない景色に寂しさ、閉塞感を感じました。
だけど僕はこれがとてもいいなと、この視点が好きだと共感する思いでした。
もっと他の作品も観たくなったのですが彼女の作品集は2作しかありません。
なぜならこの2作目の完成を待たずして自殺してしまっていたのです。
それを知って衝撃を受けました。
カメラを持ちあの街を歩き回っていた時、彼女の意識は死に向かっていたのだろうか。
この作品のこと、死を意識した人のこと、またその人の視点に共感した自分のことが頭から離れることはしばらくありませんでした。
つい最近YouTubeでネルケ無方(むほう)さんというドイツ出身で日本で住職をしていらっしゃる方のお話を聞きました。
ネルケ和尚が住職を務める安泰寺のHPに訪問する人たちの検索ワードに「自殺」が多いとのことでした。
自殺したいと考えている人たちが安泰寺のこのページにたどり着くということです。
死にたいと考えている人にとってかなり手厳しいように思える前置きで始まりますが、最後の方に書かれている境地に立ったならばとても心が軽くなるでしょう。
僕は死にたいと思ったことがないので、この文が真剣に悩んでいる人にとって心に響くものかどうかはわかりません。
だけど検索してきた人たちにとって救いになればいいなと思います。
その些細な行動を起こしたというだけでも生きたいという気持ちの表れだと思うからです。