錦で錦絵観てきたぞ*1ってことで前回の記事では少し触れただけでしたが、名古屋栄三越で開催されている北斎展へ行ってきました。
この日ビールを飲みに行くには時間がまだ早いから何かしようかなというくらいの軽い気持ちで入ったのですが、これが存外に良かったのです。
最初の方で東海道五十三次の浮世絵が道順に並べられていました。
それまでは風景画は地味なんだよなあと思っていたのですが、江戸の日本橋、品川などの場所も行ったことがありますし、愛知に住むようになって東海地区の地名も知るようになっていたので親しみを感じるようになっていたことに気がついたのです。
その中で「池鯉鮒」という土地があったのですが読みは「ちりふ」でした。
(あれ?これは昔の読み方的には「ちりゅう」になるんじゃないの?ってことは「知立」か!)と一人でアハ体験したり。
昔から住んでいる人はすでに知っていたのでしょうけど。
西洋画法への挑戦も垣間見ることができます。
雲を記号から質感的に描き、陰影のグラデーションも写実的になっている時代がありました。
きっと彫り師と刷り師が大変だったんだろうな〜と関わった職人の技量にも驚かされますし、その表現に初めて触れた昔の人々はどう感じたんだろうかとその時代へ思いを馳せることができます。
その時代の絵にはリアリズム・記号的・心象的な表現が一枚の作品に混在していて、ともするとまとまりのない印象を受けるかもしれません。
しかしそれは日本人の空間認識的にはとても自然なことなのではないかとも感じられます。
日本人は概念・平面・立体を切り分けない部分があると僕は考えているからです。
赤富士や大波の有名な作品も展示してあって、その圧倒的な迫力には感動しました。
後で絵葉書を買ったのですがその超有名作ではなく「富嶽三十六景 駿州江尻」にしました。
強い風を紙が飛ばされうねる姿で視覚化しています。
そして葉っぱを飛ばされる二本の木は手前の紙を飛ばされている人間との相似です。
しかし奥では微動だにしない富士山との対比が鮮明です。
この作品には自然の動的エネルギーが保存されているような素晴らしさがあります。
他の作品でもお寺から富士山を眺める人々や、花火を見ている人々と屋台の賑わいなど今と変わらないと思える部分があって遠い過去の様子が頭の中で再生されるようでとてもウキウキとするような気分になりました。
その風景の中に住んでいた当時の人にとっては最高のエンターテイメントだったことでしょう。
多彩な表現へ挑戦していた北斎ですが、その中にはエッシャーやマグリットに先駆けたような描写もあってその時代を超える才能には驚くばかりです。
最後は浮世絵から影響を受けたというアンリ・リヴィエールの作品が展示されていました。
富嶽三十六景の富士山をエッフェル塔に置き換えたかわいらしいイラストレーションのようでしたがその視点は浮世絵そのもの。
それは主題を中心とするだけでなく、遠くに霞んでいたり雲で隠れたり見切れていたり、裏側の一部分だけを切り取るというそれまでの西洋美術にはなかった視点を取り入れている部分です。
そしてエッフェル塔が見える風景の中で繰り広げられる人々の生活や他の景色との調和など大きな枠組みの中での、まるでオムニバス映画のような数々のドラマを描き出していることです。
それが富嶽三十六景の視点なのではないでしょうか。
浮世絵的な落款や版画風のタッチは表面的なものでしかありません。
そんなに点数もないだろうなと思っていた今回の展示ですが一つ一つ興味深く観ることができ気づけば2時間以上いました。
東海地区というか東海道五十三次の道のりの土地に住む人々にとっては親しみが湧く作品だと思うので観に行ってみてはいかがでしょうか。
*1:錦はこの辺りの地名