大昔だったら松岡修造さんは本当に祀られたんだろうな。
八百万の神の国らしい発想なんだけど今もその思考ってどうなの?
とても遅れていると思います。
日本は無宗教の国だとよく言われるけど
無宗教では決してなくて、宗教に対して無自覚なだけです。
確かに多くの人が特定の宗教に入信してはいません。
ですがそれで無宗教と言えるわけではなく
体系的な宗教観がないだけで、曖昧な感覚による信仰心は持っています。
神秘主義的な信仰とでも言うべきでしょうか。
この松岡修造さんと天気の関連付け(雨男とか)はシャーマニズムです。
日照りが続くと雨乞いをしていた頃の人達とあまり変わらないのです。
元旦に神社へ詣で、葬式は仏教。
結婚式、クリスマス、はキリスト教(最近はイースターまで。。)
いろんな宗教行事を何の疑問も持たずに行っています。
ほとんどの人が宗教行事だと意識してやっているつもりではないのでしょう。
では別にやらなくてもいいのではないでしょうか。
単なる習慣だからやっているのでは何も考えていないという事ですね。
でもどこか神聖な気持ちになるのであればその気持ちは何故起きるのでしょうか。
それは信仰心の現れだと言えるのではないでしょうか。
ただその寛容とも解釈されている曖昧さが宗教対立を起こさない一面もありますね。
「触らぬ神に祟り無し」の事なかれ主義が本質を曖昧にし
宗教行事への無節操さを生み出しているのでしょう。
別に平和だからいいじゃないかと思われるかもしれませんが
これからの時代はそれでは通用しない場面が増えてくるはずです。