映画「300(スリーハンドレッド)」を2作観ました。
一気に公開するなんてGYAO!攻めてる〜。
この年末年始はどこにも行かず無料の映画を消費するだけの人間に成り下がってしまいました。
現代最高。
欲望・争いが渦巻き、奴隷・呪術が日常的にあった時代をCGと細部まで作り込まれた装飾によってリアルに表現されています。
漫画「ベルセルク」や映画「コナン・ザ・グレート」を彷彿とさせるような世界です。
というか全て源流は同じなのかな。歴史も作品にも詳しくないので関連がわかりませんが。
血しぶきと俳優陣の鍛えられた肉体の質量には圧倒されます。
残酷で恐ろしいのに受け入れられてしまうのはあの独特のフィルターがかったような映像のなせる技なのでしょう。
やはりアメリカは実写表現において常に革新的であり続ける存在であると感服してしまいます。
・・・でも日本でキャシャーンが先にやってたよね?ね?
映画史にも詳しくないのでこの表現がいつ頃、誰が先にやったのかわかりませんがとても似ているように感じられるんですよね。
キャシャーンは評価されずに勿体無いなーと常々思っています。(このブログでキャシャーンの名前挙げるの3回目だ。どんだけ推してんだよ)
ところでこれは創作物なのでどちらか一方の勢力に肩入れしなくてはいけません。
なので主人公側はかなり美化されているんですけど、殺し合いなんてろくなもんではありません。
誇り高き民族として描かれていたスパルタも実際にはひどいことを相当したのではないでしょうか。
最近はいくら創作物であっても人が死ぬシーンでスカッとすることに抵抗を感じてしまいます。
あれはちょっと危ない感覚だと思う。
戦争映画を観ると「なんで無駄に殺しあってんねん。人間のばーかばーか」って思ってしまいます。
映画で起きている戦争は遥か遠い過去のこととして描かれていますが、現代を見つめ直してみてもこの惨劇は未だに続いているのです。
たった今でも人々の争いは続いているし殺しあい、女子供がレイプされています。
遠くの国でも自分が住む街でも。
なぜ人間はこんなにも愚かなのだろうか。
フランシスフォード・コッポラは「戦争ほど美しいものはない。そうでなければこれほどまでに人間が戦争を繰り返すはずがない」と言ったそうです。
戦争には人間を惹きつける何かがあるのか。
それとも人間には争うという邪悪な性質が備わっているのか。
しかし僕は「人間は何か目標がなくては生きていけない」からなのではないかと思います。
つまり戦争が取り組めることとして認識されてしまうからやってしまうということです。
人間は生きることに意味を求めてしまうものです。
何のために生きているのか。自分は何者なのか。
戦争はその疑問に答えを与えてくれるような気になってしまうのでしょう。
民族の中に自分を見出し、戦うことがとても意味のあることなのだと。
本当はその根幹の「目標に向かい行動すること」自体が原動力なのです。
それがスポーツ、芸術、学問を生み出したし戦争も起こしているのです。
すごく簡単に言うと「やることないから戦争しちゃう」のが人間なのです。
ほんとアホです。
映画の感想のはずだったのに人類についてまで考えてしまいました。
脱線しまくって内容を少しも伝えることができませんでしたが面白い映画でした。(結局感想それだけかよ)
遠い過去が舞台でしたが1作目の最後のスピーチは現代人へのメッセージだったと思います。
まあ映画はどの時代を舞台にしているのであれ現代を反映させているものですからね。
皆さんも無料期間にぜひ鑑賞してはいかがでしょうか。